シンポジウム「ひきこもりと若者のこころ」に行ってきた話
シンポジウム「ひきこもりと若者のこころ―フランスと日本」
に行ってきました。
友人が所属してる精神保健系の勉強会のメーリスでたまたま情報が流れてきて、
タイトルが面白そうだったので申し込んだ。
3/11(土)の13:30から17:30までの4時間のシンポジウム。
恵比寿駅から少し歩いたところの日仏会館という場所のホールだった。
(関係ないけど、恵比寿駅の周りってすごく散歩してて気持ちいいね)
参加者はだいたい50人くらい。
参加費として一人当たり1000円取られたけど、
登壇してる先生方もすごい人だったし、元が取れるような金額ではなさそう。
5名の登壇者が30分ずつ話し、最後に全体セッションがある形。
「若者のこころ」という名前がついてるだけあって、登壇者に香山リカが含まれてたりする。(香山リカはネトウヨの話をしてた)
フランスと日本で引きこもりについての共同研究をしたことがこのシンポジウムが行われたことの背景にあったらしい。
その研究では、医療者だけでなく、哲学者や人類学者、社会学者なども参加してたとのこと。
元々「引きこもり」は世界の中で日本で初めて社会問題として認識されたらしい。
海外でも少しずつ「引きこもり」現象が広がっているとのこと。
斎藤環先生は、引きこもりは「病」(統合失調症とか)ではなく「状態」(ホームレスとか不登校とか)であって、社会との相互作用で起こるものであり、原因を個人の心の問題だけに帰することはできないこと、社会関係と無関係に存在する「引きこもりの心理的異常」は抽出できないことを強調していた。
中でも印象に残ったのが、鈴木国文先生と、香山リカ先生の講演。
どちらの意見も、自分に対する自身の無さと万能感がどちらも存在しており、その間の橋渡しができていないことが「引きこもり」の心理の中に見られるのではないか、ということを述べているように聞こえた。
鈴木国文先生は「一次性ひきこもり(精神障害が無い引きこもり)」という概念について発表していた。
一次性ひきこもりでは、1.戦わずして勝負から降りて負ける。それにより、「あの時~していれば」という形で、仮定法過去完了的万能感を維持している。2.自ら、自分のやりたいことを決めることができない。他人の期待に従ってしまう。といった特徴があるのでは、と考えていたらしい。(今では、もっと違う説明を考えているそうだけれども)
香山リカ先生は、ひたすらネトウヨの話だけをしてて、引きこもりと全く関係ないじゃん、と思っていたのだけど、話を聞いているうちに惹き込まれた。
”人々は、「自分はなぜうまくいかないのか」「自分が与えられるはずの地位、収入、心理的な満足感が、なぜ他の人に与えられているのか」という謎に苦しんでいる。そして、その謎を説明してくれるストーリーとして、「在日韓国人がそれらを奪っている」という意見に飛びつく”という話。
話が面白かったので、今回の講演のネタ本の一つになっているという
「ひきこもり」に何を見るか グローバル化する世界と孤立する個人
を購入。やっぱり引きこもりと排外主義との関係についても議論されてるんだね。
これを読んだらまた感想を書きたい。