メンタルヘルスは本格的に「ユーザニーズの時代」に入ろうとしている

自己紹介

・メンヘラ.jpと協力関係にある「メンヘラ当事者研究会」という団体の発起人

・メンヘラ.jpの運営にも少しだけ関わってる

・アカデミック(東京大学医学部健康総合科学科(=看護学部)学部卒)と、Webビジネス(現在Webベンチャー企業勤務一年目)の両方の立場につま先だけ突っ込んでる

 

内容の要約

複素数太郎氏と議論したんだけど、”文化”とか社会運動とか革命とか言われても全然ピンとこなかった

Webサービス開発に関わってると、自分たちのための小さなコミュニティが爆速&低コストで作れるので、わざわざ社会とかの大きなコミュニティに訴えかけるよりも、自分たちのニーズに合ったコミュニティを2ヶ月くらいでさっさと作っちまうほうが早い、という感覚になる

・大きなコミュニティが支持する”文化”によって個人個人の自由が狭められるなんて世界観は終わりにした方がいいので、メンヘラ.jpの”文化”を批判するよりも、みんなどんどん色んなコミュニティを作ろう

 

この記事を書いた経緯

少し前にTwitterが「反治療文化」の話題で盛り上がっていた時に、複素数太郎氏に自分の意見をblogで書くと言ったものの、

気がついたら終結宣言が出ており、書き溜めた文章が行き場を失ったので少しテーマを変えて供養したい。

 

先のテーマで、複素数太郎氏と少しだけ議論したんだけど、

複素数太郎氏の意見を聞いていると、僕の中のアカデミックの頭は「確かにすげぇ大事なことを言っている」と思う一方で、

僕のWebビジネスの方の頭は「それ、どうでもよくね?」という意見を発し続けていた。

 

ちなみに、複素数太郎氏に伝えた僕の意見は、「治療文化を支持するか反治療文化を支持するかは、社会とか学者とかが決めることじゃなくて、ユーザ一人一人が決めるべきで、治療文化VS反治療文化のどっちが正しいか、社会がどうなるかなんてどーでもいい。諸々のサービスを利用する一人のユーザとしては、治療が欲しくなった時には治療が受けたいし、そうじゃないときに治療を強制されたくない、というだけの話だと思う。」というもの。

 

これに対して複素数太郎氏からは、

「反治療文化こそが、あなたの言う”ユーザ一人一人が自由に選択肢を選べる状況”を実現するための方法なんだ」という趣旨の反論をもらった。

 

その後も少し議論したんだけど、おそらく僕と彼の違いは、

複素数太郎氏は、大きなコミュニティが「治療文化」に染まると、その中で治療以外の選択肢を選べない人が出てくる、という危機感があるんだけど、

僕は「治療文化」に染まったコミュニティが一つ二つあったところで大した影響力はなくて、ユーザは自分のニーズに合わせて好きなコミュニティを選ぶだろうと楽観的に考えているところにあるんだと思った。

 

この違いがなぜ生まれたのかを考えてみたんだけど、

僕がWebサービスを作る人のことを少し知っていたからじゃないか、と思った。

 

なので、メンタルヘルスに関わる人たちに向けて、

Webサービスを作る人たちが何を考えているのか、ということを書いてみたい。

 

Webサービス世界

比喩による説明だけど、Webサービスの人の考え方を知りたい人には、この記事がめちゃめちゃわかりやすいと思う。

note.mu

 

要するに、「ユーザの支持を集める”旗”」さえあれば、人が集まり、場が栄える、というのがWebサービスの人の考え方だ。

実際、メンヘラ.jpの発起人はは金も技術もないわかり手さんだけど、

読者が記事を投稿し、僕のような勝手に手伝う人が現れ、サイトは拡大できている。

 

対して、ユーザの支持を集められない場所は、どんどん寂れて消えていってしまう。

 

Webサービスが発展するかどうかは技術力やお金よりも、どれだけ多くのユーザからの支持を集められるかにかかっている。

逆に言えば、多くのユーザから膨大な支持が集められそうなサービスがあるなら、

どれだけ技術力や元手がなくてもWebサービスは作れてしまうものだ、という感覚だ。

 

Webサービス開発者なら常識的なことだが、プロダクトというものは強い思想に基づいて作られるべきものだ。Appleがわかりやすいけど、強い思想に基づいてシンプルに作られたプロダクトほど、美しく、使いやすく、ユーザにとって高い価値を提供できるからだ。そのプロダクトが解決するニーズが絞り込まれているほど、プロダクトはユーザのニーズに的確に答えることができる。

 

個人的には、あるWebサービスに対して「一部のユーザのニーズを切り落としている」という批判が

倫理的な議論として盛り上がること自体がすげー謎な状況だなと思っている。

治療という選択肢を支援するコミュニティも必要だし、それ以外の選択肢を支援するコミュニティも必要なのだ。

ユーザは自分のニーズが合わない時は他のWebサービスを使えばいい。いちいち運営者に文句を言う必要はない。

(もちろん改善要望を出してくれるのはサイトの運営側としてはありがたいのだが)

 

だから、「反治療文化」論争の諸悪の根源は、「メンヘラ向けの使いやすいWebサービスの数が少ない」という一点に尽きる。

それぞれの思想を体現したWebサービスがいっぱい生まれてきて、一人一人のユーザが自分の思想に合ったサービスを使う、というのがもっとも美しい姿だと思う。

 

Webサービスは日々「ニッチ化」を続けている

 

今どれだけWebサービスが生まれているのかを知りたい人は、例えばこのサイトを見て欲しい。

www.service-safari.com

 

Service SafariはリリースされたばかりのWebサービスを紹介するサイトなのだが、これを見ていると、よくもまあそんなニッチなニーズに合わせたサービスが次々と生まれていくもんだ、と感心する。

 

個人的にツボだったのが「マッチョる」というサービス。

www.service-safari.com

 

マッチョ男子とマッチョ好き女子をマッチングするらしい。

男女のマッチングサービスは無数に生まれているが、その結果、こういうニッチを狙いにいくサービスが登場している。

 

メンタルヘルスは本格的に「ユーザニーズの時代」に入ろうとしている

おそらく、メンタルヘルスもこの流れに沿って進んでいく。

学術的に正しいかどうかなんて関係ない。「多くのユーザのニーズに応えられるサービス」「多くのユーザに支持されるサービス」が広がっていき、どんどんニッチなニーズにまで覆っていく。

 

2017年11月くらいから、キーワード「死にたい」で検索すると、Webメディアの記事がたくさんヒットするようになった。多分座間市の事件が関係あると思うが、跡を追うように様々なWebメディアのライターが、「死にたい」人向けの読みやすい記事を書いているのだ。

「つらい」「しんどい」などのワードも、多くのメディアが検索上位を取り合っている。検索ボリュームさえあればWeb記事は増えていくからだ。

 

この先の時代、ニーズさえあればサービスは生まれていくだろう。それはコンテンツの提供者と消費者の両方が支持する動きなので、そう簡単には止めようがない。

今まで"メンヘラ"はマイジョリティではなかったので、自分たちに合わせたサービスが現れるということに慣れていないかもしれないが、それは時間の問題に過ぎない。これから、あらゆる分野のニッチなニーズに対して、Webサービスが乗り込んでくる。

 

メンヘラ.jpという「町」は、支持してくれるユーザと共に、今後も発展していくだろう。

だが、別にあなたがその町に居続ける必要などないのだ。その町が居心地が悪くなったなら、他の"旗"を立てようとしている誰かを探せばいい。あなたがその"旗"を支持することによって、そこにまた別の町が生まれるはずだからだ。